死ぬ覚悟をした | より善き未来のために
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死ぬ覚悟をした

 

https://youtu.be/_VP26dmjHFU

 

福島原発の元運転員、初証言(2013年8月当時)

 

あの日のことを忘れない為に、

 

事故当時、東京電力福島第一原子力発電所の中央制御室で

 

事故対応にあたっていた元運転員(オペレーター)・井戸川隆太さん27歳が、

 

事故当時の状況を語った映像を紹介します。

 

現場を知る運転員としての最初の証言者です。

 

 

放射能を浴びて死ぬかもしれない原子炉建屋内に入って「ベント」を行なわなければ、

 

格納容器が爆発して、高濃度の放射能が東日本一帯を汚染しかねないギリギリの状況の中で、

 

彼らは「誰が行くじゃなくて、俺が行く(と言う人)が大半でしたね」

 

と証言する井戸川さん。

 

 

「1号機の原子炉建屋が爆発したと聞いた時は、

 

ここ(中央制御室)に居たら、確実に死ぬだろうという恐怖はありました」

 

そういう状況の中で、逃げようという雰囲気は(無かったんですか)?

 

「無かったですね。中央制御室の線量が上がってきた時点で、もう危ないかなと思ってましたけど、

 

爆発したからといって逃げようとした人は、誰も居なかったと思います」

 

「ここから離れたいという気持ちはありましたけれども、

 

じゃあ、誰が(原子炉の)面倒みるんだというのもありましたし」

 

 

「10代から40歳以下の若い人を、免震棟に退避させようということになった時に、

 

所長さんとか残ることになった人たちに、ああもう会えないなって泣きそうになりましたね」

 

「一番きつい時に活躍してくれたのが自衛隊であり警察消防であって、

 

あの方たちは本当に手を尽くしてくれたと思います」

 

「それに比べて本店(東京電力)は、全てが遅くて、何やってたんだろうって」

 

「私が浴びた線量の、低い方の値を採用しましょうって、本店から言われて」

 

「国が収束宣言を出した時に、ええ?!なんにも収束してないのに、

 

そんなこと言って良いんだって。じゃあ、もういいよって」

 

彼は、そんなでたらめな国の対応を切っ掛けに、東京電力を辞めた。

 

「現場の人間は死ぬのを覚悟してやってるのに」

 

 

「この事故のことは風化させちゃいけないんです」

 

「この事故の悲惨さを皆さんに知って頂くために、証言するのが私の使命なのかなと」

 

「口を封じて、墓場には持って行けないです」

 

 

 

私たちは、彼らによって命を助けられた。

 

これは事実だ。

 

井戸川さんのように11日が休みだった人も、

 

事故を起こした発電所に迷うことなく駆けつけた。

 

命にかかわることが分かっていても、だ。

 

私たちの命は、こういう人たちによって守られたのだ。

 

その事を、決して忘れてはいけないと思う。

 

 

自分の命を賭けて発電所を守った井戸川さんが、

 

発電所を去る決心をしたのは、人間に絶望したからだった。

 

あの事故で「本店」の人間が一体何をしたのか、これも私たちはけっして忘れてはならない。

 

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【東電テレビ会議】情報統制と被曝〜震災3日後に何が

https://youtu.be/xR1dzyA8Y4Q

 


http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1628

以下プラネットTVのサイトより引用


今回インタビューに応えたのは、事故当時、福島第一原発発電所2号機の運転員だった井戸川隆太さん27歳。井戸川さんは双葉町出身で、中学卒業後に東京電力が運営する東電学園(東京)に入学。電気に関する専門知識を学び、18歳で地元・福島第一原子力発電所に配属された。以降、原子炉を運転する現場で下積みを重ね、25歳のときに運転員試験に合格。2号機の運転員(オペレーター)を担ってきた。

2011年3月11日は非番だったが、地震発生後すぐに、自宅から発電所に急行。津波が押し寄せていたため、しばらく重要免震棟で待機していたが、午後5時すぎに2号機の中央制御室に向かう。中央制御室は電気もなく真っ暗で、冷却のための注水ができないまま、室内の線量は徐々に高くなっていったという。

中央制御室は1号機と2号機の間にあり、同じ場所を共有している。11日の夜中にかけて、1号機側の線量が高くなってきたため、1号機の運転員らも2号機側に避難しながら、パラメーターを確認する時だけ、一瞬、1号機側に移動するという状況だった。井戸川さんは、11日の段階で、メルトダウンしているだろうと考えていたという。

井戸川さんは内部被ばく量を過少に評価されたと告発する。2011年4月に内部被ばく量を計測したにも関わらず、個人の公式記録に残すデータは、すでにヨウ素被曝の影響がなくなっていた7月のデータが採用されたという。東京電力が認めた井戸川さんの被曝線量は85ミリシーベルトだ。

井戸川さんは2012年1月に東京電力を退社した。会社の上層部の考え方についていけなかったためだという。政府による事故収束宣言が直接の引き金となった。1号機爆発、重要免震棟への退避、そして、東京電力を辞める決断をするまで、その一部始終を語った。

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