私たちは過去生との集合体である
今ここで生きている私たちは、過去世で学んだことの集合体である。
分かりやすく言うと、かつて自転車に乗る練習をしたことがある人なら、
いつだって、乗りたい時に自転車を乗りこなすことができる。
でも、一度も自転車に乗る練習をしたことのない人は、
どうやったら自転車を乗りこなせるのかがわからない。
乗ることを学んだ人は、「どうやって乗るのか」なんて考えない。
無意識に乗ってしまう。そういうものだ。
自転車に乗る練習をしたことがない人は、頭で考えてしまうので、
論理的に理解できるまで恐怖心が先立つ。
だから、行動を取る前に尻込みをしてしまう。
一度経験した人は理屈など考えない。
「どうやったら乗れるようになるの?」と聞かれても。
「うん?ただ乗ればいいんじゃない?」と答えるだろう。
自転車に乗ることは、経験した人にとって、それだけ自然なことだから。
全てがこれと同じ。
何も考えずに「分かる」人は、それについては過去世で学んでいる。
では、直感的に理解できない人は過去世で学んでいないのかといえば、
そうとも言い切れない。
学びが足りていない場合がそれに 該当するし、
思い出すスィッチがどこにあるのか、忘れてしまっているのかもしれない。
そういう人は訓練が足りないだけなので、今生でもう少し訓練を積めばいい。
その為に、生まれてきたのかもしれない。
「伸びしろがある」 ということだ。
その先に、大いなる楽しみがある。
その未来のために、「今」を生きる。
こんなに楽しいことがあるだろうか。