木に心は有る?
量子論では、「電子は有機体(生物)でないのに情報を処理し、
それによって行動するから、電子は心を持っていると認めざるをえない」としている。
また「電子から成るこの世の万物は、有機体ではないのに、
人間が意識すると姿を現したり消えたりするから、
万物は心を持っているとしか認めざるをえない」という。
あなたが単なる「物質」と思っているものにも、実は心があるのだ。
先日、会に参加しているAさんからこんな話があった。
「家を建てた時に植えた木の枝が、敷地を超えて隣にまで伸びている。
秋には葉が落ちるので、迷惑を掛けてはいけないので、業者さんに枝を切ってもらった。
その後、虫が大量に湧いたので薬をかけた。
虫が湧いたのは、何かのメッセージかもしれないので、それを知りたい」と。
「枝を切る前に、そのことを木に話したか」と訊くと、
その意味が掴めないらしくぽかんとしながら、「いいえ」と答えた。
どうもAさんは、木には心が無いと思っているようだ。
果たして、そうだろうか。
量子論でも、有機体(生物)以外の物質も全て、心を持っていると規定している。
木は有機体、生物だ。草にだって石にだって心はある。
家を建てた時に植えた木なら、その家の守り神だと思って、まず間違いない。
それなのに、その木の枝を切る時に何の説明もせずに切るとは、あまりにも心が無いではないか。
さっそく、その木の気持ちを確かめてみた。
<結果は言わずもがな>ではあるが、
同じようなことをあなたがしないように、ここに書いておこう。
「枝を切る前に、それを言ってほしかった。」
至極もっともだと思う。突然知らないおじさんがやってきて、
あなたの手足を切ったとしたら、あなたはどう思うだろうか。
それと同じことだと、何故気づかないのだろうか。
それこそが不思議で仕方が無い。
「私の気持ちをAさんに知ってほしかったので、Aさんが嫌いな虫を沢山呼び寄せた。」
その木は、Aさんが虫が嫌いな事まで知っている。日々Aさんの姿を見ているからだろう。
Aさんは果たして、その木に心を止めていたのだろうか。
「私の意志で虫を呼んだので、私に虫の害は無い。」
その木は虫たちとコミュニケーションをしているから、共生できていたのだろう。
薬を撒く必要は無かったのだ。
「Aさんが撒いた薬で、私はダメージを受けた。」
可哀想に・・・。
一度ならず二度までも、Aさんは木を傷つけたことになる。
その対処法は、すぐに心から木に謝ることだ。
そして家を守ってくれていることにも、「ありがとう」の言葉を伝えることだ。
いつかAさんが、その木の立場になって考えられるようになったら、
その木は目を細めて喜ぶことだろう。
その木は、もっと大事な事をAさんに伝えていたけれど、
その話はいつかまたの機会にすることにしよう。
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