日本に自ら生まれたということの誇り
古事記(ふることぶみ)は漢文で書かれてあり、現代人の私たちにとっては難解なので、古事記の口語訳をお読みになるのは如何でしょうか。
私が読んでおりますのは、三浦佑之著「口語訳古事記」文芸春秋社刊。そして古事記(上)全注釈 講談社学術文庫ですが、他の物でも良いと思います。前者は語り部の翁が出て参りまして、古事記の世界を昔話のようにやさしく解説してくれますし、旧約聖書(中公クラッシックス刊)も分かり易い物語調になっています。
何故旧約聖書かと申しますと、それは異なるもの(多神教と一神教の教え)が十字に組むことによって新たな世界が産まれるということ。また異なっているようであって、実は日本から彼の地に出向いた人たちが、ある役割があって作った世界がこうした世界であったということ(と私は考えています)。
「失われたアーク」は日本で「神輿」の形で残っていますし、また何故神輿を担ぐ時に「わっしょい」というのか、現代日本語では分からなくなってしまいましたが、古代ヘブライ語で紐解きますと、その意味が分かるのです。
古事記に戻ってお話しを続けますと、古事記の上巻は次のように始まります。
「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかま)の原になりませる神の御名(みな)は
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。
次に神産巣神(かみむすびのかみ)。この三柱(みはしら)の神は独神(ひとりがみ)になりまして、身(みみ)を隠したまひき。」
高天原は、「たかまのはら」と読んでも良いでしょうし「たかあまはら」と読んでも良いと思いますが、私は「たかまがはら」とは読みません。「まが」は「禍々しい(まがまがしい)」モノに通じますので、言霊の理論から言いましても、「たかまがはら」という度に、禍々しいエネルギーを宇宙に発信することになるからです。
天御中主神様を言霊で表しますと「ウ」になります。それが二柱(ふたはしら)を産みます(エネルギーが分かれる)。高御産巣日神(たかみむすびのかみ 言霊<ア>主体)と神産巣神(かみむすびのかみ 言霊<ワ>客体)に分かれるのですが
客 主
体 体
ワサ ヤ ナ ラ ハ マ カ タ ア
(W S Y N R H M K T A)→右から左にTA KA MA HA RA NA YA SA
ヲ オ →これに漢字を当てはめますと
ウ ウ 「高天原成弥栄和」になります。
ヱ エ
ヰ イ
この高天原成弥栄和と主客と客体を表わしたものが、現在「鳥居」として残されているわけです。
神社に参拝する時は、知らず知らずの内にこの「宇宙初発」のゲートをくぐって追体験をしているのですね。
何故主体と客体が有るかと言いますと「日本は常に二本」なのです。陰陽があって一体。
火と水が十字に組んで神力が起こる。
主体と客体がお互いに感応交わって、次なる現象が産まれるからです。夫婦が交わって子が産まれることと同じですね。
古事記はこのように宇宙の成り立ちを表わしているのと同時に「今この瞬間」の事も表わしています。
それを言霊で読み解きますと、人の意識の在りようを表わしていることにもなります。
何か考え事をして「あっ!」と思った瞬間のエネルギーが天御中主神で、「だから私はこう思う」というのが主体=高御産巣日神で、「でもあの人はこう考えるかもしれない」というのが客体=神産巣神の働き、というわけです。
宇宙物理学的には、天御中主神はビッグバンと言えると思います。
新約聖書に「まず初めに言葉があった。」と書いてあるのは、この天御中主神の言霊「ウ」がお出ましになった事を言っていますし、その後に「言葉は神であった」と続きますが、それは言葉には働き(言霊)があり、それは=神のエネルギーだということを表わしています。
伊勢神宮は古くは五十宮(いそのみや)と申しました。言霊五十音を祀った宮という意味です。
言霊=神ということです。
万葉集にある「大和は言霊の幸う(さきはう)国」というのは、日本は言霊(神のエネルギー)によって幸多い国だということを表現しています。
唯一無二の、そう言う国に私たちは自分の意志で産まれてきたということを知るだけでも、背筋がスッと伸びるような気が致します。
皆さまはもっと深くご存じだと思います。
ざっくばらんに、こんなことが学びあえる時間が持てたらいいなと願っております。By T<参照:小笠原孝次 言霊百神>