名前に込める「私命」
昨日、親がつけたいわゆる「キラキラネーム」に悩んで、
改名の申し立てをしていた高校三年生の男の子に、
家庭裁判所の改名許可が降りたというニュースがありました。
彼は、「キラキラネームの十字架を背負ったみんなも希望を捨てないで」と、
Twitterに書いているとのことです。
この言葉から、彼がこれまで相当苦しんできたことが窺えます。
彼の「十字架」となっていた、「母親がつけた」名前がどんな名前だったのかというと、
「王子様」だというのですから、驚きです。
「王子」だったらまだよかったのですが、「王子様」は困りますね。
「様」は他者に対して使う尊称ですから、
自己紹介する度に、自分に「様」をつけることでエネルギーが歪んでしまいます。
お母様は「私にとっての唯一無二の、私の王子様」という意味でつけたのだそうです。
「私の王子様」なら、表現としても文法的にも正しいのですが、
でも「僕の名前は〇〇王子様です。」というのは、ギャグとしか受け取ってもらえない。
彼は「自己紹介する度に、知らない人にまで馬鹿にされた」と言っています。
馬鹿にしたわけでは無いかもしれませんが、
彼自身はそのように感じ、苦しんだということですね。
会員証を出すような場所では、
本名かどうか繰り返し尋ねられ、疑われて、傷ついたと言っています。
さて先日(3月2日)、北朝鮮の金正男の息子、金漢率(キム・ハンソル)を例に引いて、
自分の名前は、生まれる前に自分でつけて生まれてくると書きました。
その名前に今生のテーマを込めるのだと。
それを読んだ人の中には、
「だったら、苦しくてもこの名前を改名しちゃいけないんじゃないの?
その中に学びがあるんだから」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
確かにそういう側面があることは事実です。
ですが、彼(本体)が名前に込めた意味はもっと深いのです。
三次元的には「親がつけた」キラキラネームで、彼は長い間苦しみ続けました。
その中に学びがあったことは事実です。
そして、どうしてもこの名前では生きていけないと思った彼は、
15歳の時に親に相談をし(自分勝手に決めなかったことが立派です)、
18歳になって家庭裁判所に改名手続きの申請を行いました。
そして新たにつけた名前は、「肇(はじめ)」でした。
彼が名前に込めた今生のテーマとは、一体どんなことだったでしょうか?
考察してください。
頭で考えても、分かりませんよ。
答え合わせは、また次回。