気づきと学び | より善き未来のために

「とことん」の底力

 

泣き叫んでもいい。

 

 

でも諦めてはダメ。

 

 

今日も「あきらめ小僧」が、いち抜けた。

 

どれほど辛かったことか。

 

 

問題はね、辛いっていう事を誰にも言えないこと。

 

悩みは恥じゃない。

 

思いっきり、ぶざまに泣いたらいい。

 

 

大人だって、男だって、泣きたい時がある。

 

感情を押さえてはいけない。

 

押さえるから、ボディーブローのようにこころに効いてくる。

 

 

「出る」モノは何でも出さなきゃ、死んじゃうよ。

 

汗だって、熱だって、うんちだって。

 

感情だって「出る」モノなんだから、止めちゃダメ。

 

サンドバッグでも蹴っ飛ばしながら、思いっきり叫んだらいい。

 

 

苦しい時は、考えちゃダメ。

 

考えのせいで、苦しんでいるのだから。

 

 

考えない方法、それは思いっきり体を動かすこと。

 

ふらっふらになるまで、体を動かすこと。

 

「もう〜、しぬ〜ッ」って思うまで。

 

それで、あとはデ〜ンと大の字になる。

 

空や、星や、月がみえたら良いんだけど、床の上でも大丈夫。

 

 

汗が引いていくのと同時進行で、何かが引いていく感じがする。

 

諦めちゃ、だめだよ。

 

 

 

辛いことって、真っ暗なトンネルみたいなものなんだ。

 

出口がみえなくて、その辛さが一生続くのかと絶望してしまう。

 

だけどそのトンネルはカーブしているだけで、

 

すぐそこまで行ったら、ひかりが必ずみえてくる。

 

 

奈落の底もおなじ。

 

1mmの100万分の1もひかりの無い「漆黒の闇」っていうのは、

 

言葉にならないほど恐ろしい。

 

 

自分が上を向いているのか、下を向いてるのかもわからない。

 

自分の体が、そこに有るのかどうかもわからない。

 

何の物音も気配もしない。

 

そんな世界は、声も出せないほど恐ろしい。

 

 

「もう、だめだ〜」と絶望仕掛けたその時に、一筋のひかりが射してくる。

 

その時の感覚っていったら、言葉にならないよね。

 

まるで、天使に導かれているようで。

 

 

真っ暗闇の中の、一筋のひかりほど美しいものはない。

 

その美しさを知るために、あなたは今、苦しんでいるのかもしれない。

 

 

苦しんだ者にしか観えない世界が、この世にはある。

 

「それを見てから逝っても、いいんじゃない?」って、

 

わたしは思う。

 

 

 

 

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| 気づきと学び | 19:19 | comments(0) | - | - | - |

神さまの言葉を聴く

 

 

 

「暑い、暑い!」と言っていたのに、

 

いつの間にか季節が秋になっていることを、

 

遊歩道に落ちていたどんぐりが教えてくれた。

 

今年も、どんぐりの季節がやってきた!

 

 

日本に四季があることで、私たちは多くの恵みを頂いている。

 

風鈴の音や鈴虫の鳴き声に季節を感じ、風情を感じる日本人独特の感性も、

 

四季があるからだろう。

 

 

先日、ベトナムの人に、

 

「日本人は、春が来たことを、頬をなでる風で感じる」と言ったら、

 

身をのけぞるようにして驚いていた。

 

 

彼が生まれ育ったベトナム南部には、雨季と乾季しかない。

 

だから、冬と春の境目に吹く、春の匂いを含んだ柔らかい風を彼は知らない。

 

四季のある国で育っていないので、

 

日本に5年住んでいても、季節の神様からの便りに気づけない。

 

 

「ダニが鳴いているね」と、彼が言った。

 

「ダニ?!」

 

「うん、秋になくムシ・・・」

 

「秋に鳴く虫・・・。すずむしのこと?」

 

 

「ダニがないている」という言葉に目を丸くしていた私を見て、

 

彼は大急ぎで辞書を調べた。

 

 

 

「あっ、セミ!」

 

 

そうか、春の訪れを頬で感じられなくても、

 

夏の終わりにセミが鳴いて、秋が来ることは知ってるんだな。

 

 

前者は感覚。感性を育むセンサー。

 

後者は知識。頭の世界。

 

繊細な感覚は、その世界で育つことによって育まれる。

 

和歌や短歌、俳句といった日本独特の文化は、四季が育てたものだろう。

 

短い言葉だからこそ、逆に広がる世界が観えてくる。

 

 

創作する側にも読む側にも、深い感性と知性が求められるのが、日本の文化だ。

 

それを想う時、いつもあるエピソードを思い出す。

 

日本文化に精通しているある外国人が、俳句を英語に翻訳しようとして行き詰った話。

 

 

彼の疑問は、松尾芭蕉の俳句に詠まれた「古池や 蛙飛び込む 水の音」の蛙は

 

いったい何匹なのだろう、ということだった。

 

英語では、少なくても一匹なのか数匹なのか、数を示さなければならない。

 

でも数を言った途端、芭蕉の世界観は壊れてしまう。

 

 

一匹のカエルが鳴いていた。

 

数匹のカエルが鳴いていた。

 

五匹のカエルが鳴いていた。

 

英語は、数に厳しい言語だ。

 

「あるカエルが鳴いていた」は成立するが、「カエルが鳴いていた」は成立しない。

 

 

日本語は「何匹の蛙」と言わなくても成立する言語だ。

 

縛りの無いところに、広がりが現れる。

 

どんな世界を観るかは「読み手の感性にまかされている」。

 

自由なのだ。

 

発信者と受信者とのコラボレーションで、世界が完成される。

 

神道の世界では、これを産霊(むすひ)と言う。三次元的にいえば結びである。

 

それは、全ての世界に共通している。

 

神界との交信も同じことだ。

 

 

神の御心を三次元に顕現させるには、私たち人間が不可欠だ。

 

神様が幾ら御稜威(みいつ)を発信されたとしても、

 

受信者が居なければどうにもならない。

 

そのアンテナを持っているのは、春の訪れを頬で感じられるひとだ。

 

今それができなくても、

 

日本で幼少期を過ごしたのであれば、いつか思い出すかもしれない。

 

神様の言葉を聴きたかったら、自由になることだ。

 

自分を縛っているものを手放して、自由になる。

 

そして、まっさらになる。

 

受信体に、色がついていてはいけない。

 

だから神前に出る時には、白い装束に身を包む。

 

自己を消せと言っているのではない。

 

自己を消したら、あなたが無くなってしまう。

 

それでは、ロボットと同じではないか。

 

自己を持ちつつ、自我を消す。

 

その境地に至れる者こそが、神の受信体となれるのだ

 

 

 

| 気づきと学び | 18:02 | comments(0) | - | - | - |

パワースポットへは行ってはいけない!

 

「パワースポット」には、行かない方がいい。

 

 

パワースポットは、「運が悪い」と思っている人が行きがちだからだ。

 

全てがうまくいっている「運気上昇中のひと」が、

 

パワースポットに惹かれるだろうか?

 

 

ネガティブな気持ちになっている人が集まる場所、それが「パワースポット」なのだ。

 

だからパワースポットには、ネガティブな念が渦巻いている。

 

見える人が見たら、恐ろしくてすぐに立ち去ってしまうだろう。

 

 

 

周波数が同じものには「引き寄せの法則」が成り立つ。

 

周波数が近いものは、お互いに引き寄せ合う性質があるのだ。

 

ネガティブな心理同士がお互いに引き合って、増幅していく。

 

こんな恐ろしいことは無い。

 

 

かつて〇〇峠という、いわゆるゼロ地場へ行ったことが有る。

 

そこに行ったのは、ご多分に漏れず、精神的に落ち込んでいた時だ。

 

 

そこには階段状になった場所が有って、沢山のひとが座っていた。

 

筆者もそこに座ろうと思ったのだ、その一角に足を一歩踏み入れた瞬間に、

 

おぞましいとしか言いようのないエネルギーが渦巻いていることを観じて、

 

ゾッとした思い出がある。

 

 

よくこんな所に座っていられるものだと、

 

思わずそこに居る人たちの顔を見てしまったほどである。

 

 

その「結界」の外にベンチがあって、そこにひとりのおばあさんが座っていた。

 

通りかかったひとが、

 

「ここじゃなくて、向こうに座らないと効果が無いですよ」と声を掛けた。

 

三次元的には親切心と言うのだろうが、

 

実相界から観れば、これは「大きなお世話」だ。

 

 

声を掛けられたおばあさんは

 

「私は足が悪いので、ここで良いんです」と言って動かなかった。

 

それを見て「ああ、このひとは守られている」と思ったものである。

 

そのおばあさんも決して健康そうではなかったが、

 

病気のひとがあのようなエネルギーの中に居たら、

 

生命エネルギーが奪われて大変なことになるだろう。

 

 

その場所は、発見された当初は善かったのかもしれない。

 

そこへ噂を聞いた「運の悪い人々」が集まって、

 

その結果、エネルギーを汚染してしまったのだろう。

 

パワースポット=運が悪い人たちが集まる場所」には、行ってはいけないのだ。

 

 

 

記紀にも出てくる、ある有名な場所へも行ったことがあるのだが、

 

ここもパワースポット化していて、人々の邪気によって「地獄」と化していた。

 

 

そこは「天安河原」と呼ばれている。

 

天安河原とは、天照大神が岩戸にお隠れになった時に、

 

八百万の神々が集まって相談したという伝説が残る場所だが、

 

その場所が地獄と化すとは、

 

人間の思考が如何にネガティブで恐ろしいものか、分かろうというものだ。

 

 

その場所の前には小さな小川が流れていて、小さな太鼓橋が掛かっていたのだが、

 

その太鼓橋のこちらと向こうではエネルギーがまったく違うのだ。

 

「向こう側」の恐ろしさ、と言ったら無かった。

 

 

それなのに、そこに居る人たちは、

 

ゼロ地場と同じで、何も感じないらしく驚いたことがある。

 

 

パワースポットは存在するし、元々は悪いものではない。

 

そこを訪れる人々の邪気が、その場所を汚染しているというのが正しい認識である。

 

不安や怖れ、怒りや否定といった思考=邪気は、

 

この地球で一番大きな破壊力を持っている。

 

 

パワースポットへは行かないことをお奨めする。

 

私たち自身が、地球のバランスを整えるためのパワースポットを創れるような、

 

そういう魂霊(たまひ)の持ち主になることがひとつの目標である。

 

 

パワースポットを頼るのではなく、

 

パワースポットを創って、地球を浄化して共存する。

 

それが、私たちの役割のひとつなのではないだろうか。

 

 

 

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 揺れ動かない心身になるためには「腸」に着目するべし

 

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| 気づきと学び | 23:31 | comments(0) | - | - | - |

現地球に於いての最高最大の幸運

 

日本書紀 雄略天皇9年3月

 

雄略天皇が紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰らに勅(みことのり)して

 

「新羅は西の国にあって世を重ねて臣を称した。朝聘を違えることはなく、

 

貢物も適当だった。朕が天下の王になってからは対馬の外に身を置き、

 

跡を隠して高麗の貢物を阻んで百済の城を呑み込んだ。

 

また朝聘を欠いて貢物を納めることもない。

 

狼の子のように野心があり、飽きては去り、飢えては近づく。

 

お前たちを大将に任ずる。軍を以って征伐して天罰を加えよ」と。

 

新羅王は夜に四方から皇軍の鼓の音を聞いて、

 

土地を全て占領されていることを知り、数百の騎兵と共に逃げ乱れて大敗した。

 

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これは5世紀末頃の話とされるわけだが、

 

「狼の子のように野心があり、飽きては去り、飢えては近づく。」

 

というのを読んで、思わずムンムンの事かと思ってしまった。

 

彼は奇しくも、この新羅王と同郷である。

 

 

「新羅王は、数百の騎兵と共に逃げ乱れて大敗した。」

 

彼の国では、王はいつの時代も真っ先に逃げる。

 

 

大韓民国初代大統領の李承晩は、朝鮮戦争勃発二日目の夜中、

 

夜陰にまぎれて、特別列車に乗っていち早く南に逃げた。

 

翌日、北朝鮮の軍隊の侵攻を食い止める為という名目で、

 

首都・京城(現ソウル)を東西に流れる漢江に掛かる橋が爆破された。

 

その時、橋の上には凡そ4.000人もの避難民が渡っていたとされる。

 

それでもお構いなしに、通告もせず、橋を渡り切る猶予も与えず爆破させた。

 

 

橋の北側(現ソウルの中心地)に居た人たちは、

 

北軍の侵攻について一切知らされず、

 

橋の爆破によって逃げ道を失い、犠牲となった。

 

そしてリーダーの居ない首都・京城は、その日の内に北の手に落ちた。

 

 

 

 

存在階層が違うので、同じ紙面に書くのは憚られるが、

 

昭和天皇は先の大戦の時、東京を一歩も離れられなかった。

 

お体を心配した侍従長が栄養のある物を準備しようとすると、

 

「一線に居る兵士たちと同じもので良い」とおっしゃって、

 

麦飯しかお召し上がりにならなかった。

 

 

 

王にとって、民は従属物であって人間ではない。

 

どれほど飢えようが死のうが、気にもしない。

 

 

天皇にとって、民は大御寶(おおみたから)である。

 

「咎(とが)は、全て私が受けるべきである」と神に直訴し、

 

大御寶の安寧を祈る。それが天皇という存在である。

 

 

先の大戦後、GHQのマッカーサー元帥に、

 

「全ての罪は私が負うものである。

 

国民を、どうか飢えさせないでほしい。」と直訴し、

 

「きっと命乞いに来るのだろう」と思っていたマッカーサー元帥が感動した話は、

 

今も昔も、天皇の在りように変わりがない事を、如実に語っている。

 

 

日本に生まれたことは、現地球に於いて最高最大の幸運である。

 

自ら選んだこととは言え、

 

そのことに感謝せずに、一体何に感謝するというのだろうか。

 

 

国民(くにたみ)の さちあれかしと いのる朝

 

        宮居の屋根に 鳩はとまれり

    

           昭和天皇 御製 昭和41年

 

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| 気づきと学び | 07:21 | comments(0) | - | - | - |

眞理はいつも時代も変わらない

 

   

     <皇太子殿下時代の上皇様とヴァイニング女史>

 

 

未だ戦火の爪痕が色濃く残るGHQ占領下の1946(昭和21)年、

 

米国人のバイニング女史が、当時の皇太子(現上皇陛下)の家庭教師に決まり、

 

9月15日に横浜港に降り立ちました。

 

 

家庭教師は、昭和天皇御自らのご希望で実現したというメディアの記事もあり、

 

またGHQによる皇太子のキリスト教化=神道の破壊工作であった、

 

と言う人も居て、今の所いずれも推測の域を出ませんが、

 

「この時期に、米国人のヴァイニング女史が皇太子殿下の家庭教師になった」

 

このことだけは歴史的な事実です。

 

 

今日は、理由はどうあれ

 

「素晴らしい方」が、皇太子殿下の家庭教師であった事について、

 

書こうと思います。

 

 

 

来日した彼女は、教室の黒板に「自分で考えよ!」と書きました。

 

 

さらに彼女は、皇太子殿下とそのご学友に、常々次のように語っていました。

 

 

 

私はあなた方に、

 

いつも自分自身で物を考えるように努めてほしいと思うのです。

 

 

誰が言ったにしろ、聞いたことを全部信じ込まないように。

 

 

新聞で読んだ事を皆信じないように。

 

 

調べないで、人の意見に賛成しないように。

 

 

自分自身で真実を見いだすように努めてください。

 

 

ある問題の半面を伝える非常に強い意見を聞いたら、

 

もう一方の意見を聞いて、

 

自分自身はどう思うかを決めるようにしてください。

 

 

今の時代には、あらゆる種類の宣伝がたくさん行なわれています。

 

そのあるものは真実ですが、あるものは真実ではありません。

 

 

自分自身で真実を見いだすことは、

 

世界中の若い人たちが学ばなくてはならない、非常に大切なことです。

 

 

 

この時代に三次元の本質を喝破し、

 

このようなことが言える女性が、当時の皇太子殿下の家庭教師であったことは、

 

正に「神々の計らい」であったことを強く観じ、感謝せずにはいられません。

 

 

この「場」を通して、折あるごとにお伝えしている実相の世界のみ教えと、

 

寸分たがわず同じことをヴァイニング女史は語っている。

 

皇太子殿下の家庭教師として、「選ばれる」べきひとが選ばれたということです。

 

 

如何なる状況下にあっても、揺らがず、地に足をつけた生き方をしていくために、

 

ヴァイニング女史が言ったことは必須です。

 

上皇さまがお若いうちに、このような方と触れ合う機会があったことは、

 

日本に対する神々の導きであったことは間違いありません。

 

御心に、衷心からの感謝を申し上げます。眞に有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

| 気づきと学び | 11:29 | comments(0) | - | - | - |

〚あなたがご先祖だった〛時もある

 

ご先祖様の敬い方で書いた「あなたが先祖だった」時もある、について。

 

Aさんはインドネシアの方と結婚して、暫くは日本に住んでいましたが、

 

今はインドネシアのバリ島に住んでいます。

 

 

インドネシアでは、各家の敷地に「家寺」があるそうです。

 

寺と言っても太陽神と先祖を祭ってあるのですが、

 

家寺の他にも、山の寺、海の寺、水浴寺院、湖、洞穴、泉、木、等々

 

数限りなくお寺が有って

 

「全てのモノに神が宿る」とする神道に通じるものがあります。

 

 

インドネシアでは、家を守って下さる神様を日々奉るのは、女性の仕事です。

 

彼女は「嫁」として、

 

夫の先祖が篤く奉ってきた神々とご先祖様を「奉らなくては」なりません。

 

それが彼女にとっては、大きな負担でした。

 

彼女に取って遠い存在、それがバリの神様であり、夫の先祖の方々でした。

 

 

結婚するには、必ず実相界に於ける理由があります。

 

彼女の場合を精査すると、

 

彼女自身が、夫の先祖であった過去が浮かび上がってきました。

 

自分を祀るために、

 

その先祖の子孫と結婚してバリに戻った、ということです。

 

 

それなのに彼女が、その家を守る神を奉り、ご祖先を祀ることが嫌なのは、

 

その過去生で、神奉り、先祖祀りを通して、

 

何かとても嫌な経験をしていることが推察できます。

 

その過去生が、その時の禍根を修正したいと思っているから、

 

今の夫となるひとと結婚して、「実家」に戻ったわけです。

 

 

彼女が、嫁ぎ先の母親や姉たちとあまりうまくいっていないことから、

 

その先祖(Aさんの過去生)が思い出したくないイベントは、

 

家族や親戚間で起こったことも、容易に推察できます。

 

 

「段々の理(ことわり)」に沿って、その精査はまた別の機会に譲るとして、

 

今はとにかく、彼女がバリの神々様とご先祖の皆様を、嫌々奉る(祀る)のではなく、

 

心を込めて、少なくても拒絶感なくさせて頂けるようにすることが重要です。

 

 

家寺に祭ってあるのは太陽神ですから、

 

この神様は神道で言えば天照大神様であり、密教で言えば大日如来様です。

 

いずれも同じ神様です。

 

こちらのお寺には大日如来様にご鎮座頂き、

 

ご先祖様を祀るお寺には、

 

彼女の、亡くなられたご両親とご先祖の皆様にもお入り頂きました。

 

 

こういうことは勝手にしてはいけません。

 

祈願と共に、順と区別をしっかりと守らなければなりません。

 

お蔭さまを持ちまして、「家寺」を彼女は身近に感じられるようになり、

 

拒絶感も無くなったとのことです。

 

 

そういうことに日々感謝の想いを持つことができれば、

 

その先祖の禍根を癒す段階へと入っていけるのですが、それもまた段々の理です。

 

 

とにかく全ての現象に原因・理由があり、

 

全ての問題は、感謝することで解決していきます。

 

 

 

そうやって、現実には嫁いだ義理の家族と馬が合わなくても、

 

その家が「実家」である場合がとても多いのです。

 

ですから、自分が生まれた家のご先祖様と嫁ぎ先のご先祖様に、

 

日々お食事を差し上げて感謝をお伝えし、お祀りすることを

 

しっかりとなさることをお奨め致します。

 

 

先祖であったあなたの気持ちが癒され、

 

また両家のご先祖様が仲良くなれば、

 

今のあなたの心に掛かっている霧も晴れていくのですから。

| 気づきと学び | 19:52 | comments(0) | - | - | - |

ご先祖様の敬い方

 

知人女性に「ご先祖様にお食事差し上げてますか?」と、

 

何かの流れで尋ねた所、

 

「やってますよ。」とのお返事。

 

 

そこまでは善かったのですが、その後が・・・。

 

「差し上げる時に、〚ご先祖様のお名前をお呼びして〛

 

〚どうぞお召し上がりください〛と言ってます?」と訊くと、

 

「えっ?ご先祖様の名前を呼ぶの?!」と驚いたようにおっしゃるので、

 

こちらの方が驚いてしまいました。

 

この方はお墓参りに行った時も、

 

○○家のご先祖の皆様、お父さん、お母さん」と声を掛けないのでしょうか。

 

 

 

「果物を差し上げる時は、どうやって差し上げているのですか?」

 

「買って来たら、私はまず仏壇に供えるんですよ。」

 

ご先祖様ファーストと言いたげ。

 

 

「丸ごと?」

 

「だって、私少食だから、一度切ったらすぐ悪くなるから

 

丸ごとそのまま上げておくのよ。」

 

 

これって、ご先祖様に差し上げているのではなく、

 

自分が食べるまで、仏壇を一時保管場所にしているということですね。

 

 

お食事をご先祖様に差し上げる際には、食べられる状態にして差し上げます。

 

リンゴでもスイカでも小さく切って、スプーンやフォークをつけて。

 

〚ご先祖様にお召し上りいただく〛のですから。

 

 

お客様がいらっしゃった時に、リンゴ一個、そのままお出ししますか?

 

洗いもせずに? お皿にも乗せずに?

 

 

彼女は、丸ごと果物を仏壇に置く理由をこう言いました。

 

「夏は切って置いておくと、虫が湧くから嫌なの。」

 

 

お食事は置きっぱなしにせずに、

 

長くても30分位したらお下げするのですよ。

 

私たちだって、そのくらいの時間があったら食べ終わるでしょう?

 

 

〚小バエが出るから、切らずに置いておく〛

 

葡萄とか、皮を剥かなくても小分けできる果物を差し上げたら

 

良いのではありませんか?

 

そうアドバイスしても、彼女はまた言うかもしれませんね。

 

「私、葡萄が嫌いなんです」って。

 

 

 

無理しなくてもいいんです。

 

ご先祖様に差し上げるのは、特別のものは必要ありません。

 

だって「家族」なのですから。

 

その方をご存知なら、生前お好きだったものを差し上げるのも良いですね。

 

 

暑い夏には、キンキンに冷やしたビールを、

 

寒い冬には、鍋物を作ってお皿に小分けして召し上がって頂く。

 

「今日のメニューは、〇〇と〇〇です。どうぞお召し上がりください」と、

 

料理の簡単な説明を添えて。

 

 

肉体が無いからといって、

 

ご先祖様を「モノ」のように扱うのは如何なものでしょうか?

 

 

 

あなたは〚ご先祖〛と思っているかもしれませんが、

 

〚あなたがご先祖だった〛時もあるのですよ。

| 気づきと学び | 14:51 | comments(0) | - | - | - |

自分の救い方

https://news.yahoo.co.jp/articles/281f990574e2fe073917999b4f961a218395a553

 

東奥日報の記事より

 

墓参りなどのため東京都から青森市に帰った長内和雄さん(64)の生家に「何を考えてるんですか?」「さっさと帰ってください!!」など、帰省をとがめる内容の紙が投げ込まれた。  長内さんが玄関先に落ちていた白い紙を見つけたのは7日朝。ごみを捨てに行こうとしていたところで、丸めて捨てようとしたら「なんでこの時期に東京から来るのですか?」「安全だと言いきれますか??」などの文字が目についた。文章は手書きで匿名。すぐに警察へ通報した。  都内に住む長内さんは5日に帰省。7月末までに2度、自主的にPCR検査を受け陰性だったという。8日の取材に長内さんは、「(紙を置いていった人が)考えるほど(自分は)無神経ではない」と憤った。今後さらにお盆の帰省者が増えることに触れ、「青森に来る人が嫌な思いをしないよう、相手の気持ちになって考えてほしい」と訴えた。

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この紙には、「良い年して、何を考えてるんですか?」とも書いてあるが、

 

この言葉を向けられるべき人は、この紙を書いた「匿名の人物」ではないだろうか。

 

 

自分の考えだけが、正しいと思っている。

 

相手と顔を合わせて、自分の気持ちを伝えられない。

 

これは、「脅かし」と言われても仕方ない行為だ。

 

「あなたこそ、いい年をして何を考えているのですか?」

 

 

そしてこんなことも書いてある。

 

「この通りには、小さい子も居るのです。そして高齢者もです。

 

さっさと帰ってください!! みんなの迷惑になります。」

 

 

「自分に取って迷惑です」と、眞実を書けない悲しさ。

 

自分が考えていることが「常識」だと思い、

 

「常識は正しい」と思いこんでいる未成熟な「脳」。

 

 

 

「知事がTVで言っているでしょうが!!」

 

このひとの潜在意識界には、

 

「自分の考えが正しいと言えるものが、何も無い」という思いがある。

 

だから、知事を引き合いに出してしまう。

 

このひとの「脳」にとって、「権威」は「力」なのだ。

 

出せば、誰もが膝まづく「黄門さまの葵の御紋」だと思っている。

 

 

 

このひとの「脳」は、いつも不安で一杯なのですね。

 

だから書かずにはいられないし、知事を引き合いに出さずにはいられない。

 

でも、自分が誰なのかは、周囲にも、この帰省した人にも知られたくない。

 

 

大人になれない「お子ちゃま脳」は、冷静に話すこともできないし、

 

できることといったら、これくらいです。

 

 

「脳」は自分がしたことが、公にされるとは思っていなかったことでしょう。

 

だから今頃、パニックです。

 

この人はこれからもずっと、「眠れない日々を送る」ことでしょう。

 

この人に元々内在している恐怖心が増幅していって、

 

「自分の名前と顔がさらされるのではないか?!」

 

「非難されるのではないか?!」etc etc と、苦しくなるほど暴れ出すから。

 

 

「自分が正しいという思い」と「自己否定」は、一対で存在しています

 

誰かを非難する人は、その一方で大きな刃を自分に向けている。

 

「脳」には、そのことが分からない。

 

 

全てのモノは、周波数で引き寄せ合う。

 

だからウィルを怖がると、ウィルスに感染しやすくなります。

 

周波数が合うから。同じ仲間になるから。

 

病理学的には、恐怖心を抱くと免疫が落ちるので、

 

罹患しやすくなるということです。

 

 

恐れる必要はありません。

 

8月4日の「ウィルスと対話する」を読んでください。

 

罹患しない方法は、基本的な策を講じて、

 

何よりもまず、ウィルスを怖れないことです。

 

 

お近くの方、「大丈夫、大丈夫」と語り掛けながら、

 

このひとの背中を、優しくなでてあげてください。

 

そうすることで、頭に昇っている氣を下げることができます。

 

 

ワア〜となったら、深呼吸をしてください。

 

呼吸が浅い時は交感神経が優勢になっています。

 

息を吐く時に、副交感神経が優勢になるのです。

 

 

 

悩んでいる時、悲しい時、苦しい時、苛立つ時・・・・、

 

そういう時は交感神経が優勢になっていますから、血圧も上がります。

 

「あっ!」と思ったら、立ち止まって、ゆっくり深呼吸をしてください。​

 

 

 

 

| 気づきと学び | 12:52 | comments(0) | - | - | - |

眞実を見れない脳

 

皆さんは、仁徳天皇をご存知でしょう。

 

天皇陵で有名ですから。

 

でも、この陵(みささぎ)が、クフ王のピラミッドよりも、

 

秦の始皇帝陵よりも大きいことは、ご存知ないかもしれませんね。

 

 

長い時間を掛けて、ピラミッドはその大きさが喧伝され、

 

また、中国の物は大きく、

 

日本の物は何でも「小さい」と思わせられているので。

 

 

一度思い込んだ脳は、何かきっかけが無いと眞実を見ようとしません。

 

だから、分からない。

 


 

 

 

 

 

 

 

(堺市のHPよりお借りしました)

 

 

 

昔、外国からの客は、大阪湾に船を係留し、現在の国道26号線を徒歩で都へ上った。

 

その道は、この陵を見せつけるために造られました。

 

高い建物が一切無いので、遥かかなたから仁徳天皇陵が見えた。

 

全体像が掴めないほどの大きさで、

 

近づけば近づくほど、人々はその大きさに圧倒されたと言います。

 

 

まずその「建造物」の大きさで度肝を抜いて、「国力」の大きさを見せつけた。

 

外交というのは、一種の「闘い」です。

 

平和を保つ為には、強くならなければなりません。

 

強くなくても、強く見せなければならない。

 

でなければ、侵略されかねない。

 

 

大阪湾から、この陵の傍を通って都に通じる道を「竹内街道」と言います。

 

言わずと知れた、竹内(武内)宿禰のことです。

 

この、視覚に訴えて、外国勢を腰砕けにさせる手法を考えたのが、

 

当時の智恵者・竹内宿禰だったことは想像に難くありません。

 

彼は、仁徳天皇の祖母である神功皇后に仕えた人で、

 

「三韓征討」にも同行して指揮を取り、

 

皇后の皇子・誉田別命(仁徳天皇の父)を天皇にした立役者とも言える人です。

 

ですから当時の海外情勢にも明るく、

 

如何にすれば彼らを御すことができるかを、熟知していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 気づきと学び | 12:06 | comments(0) | - | - | - |

捨てられるワクチン

 

[東京 7日 ロイター] -

加藤勝信厚生労働相は7日夕、英ストラゼネカ<AZN.L>から1億2000万回分の新型コロナワクチンの供給を受けることで同社側と基本合意したと発表した。 加藤厚労相によると、1人分に何回の投与が必要かによるが、2回の投与が必要なら6000万人分となる。

まず来年、1─3月に3000万回分の供与を受ける。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/bfcb22399d5d5477e39f07d15790d3faf9e8f561

 

 

 

このワクチンのほとんどは、捨てることになる。

 

一体、幾ら税金をつぎ込むことになるのだろうか。

 

でも国としては、国民の人数分は確保しなければならない。

 

確保しなければ、「政府は国民を見捨てるのか」と騒ぎ立てる人たちが居る。

 

 

確保しても、確保しなくても、批判される時、

 

ひとは一体どうしたらよいのか?

 

 

答えは、自分の魂霊に訊けばいい。

 

頭で出した答えに対しては、

 

常に「これで良かったのだろうか」という不安がよぎる。

 

魂霊の選択なら、如何なる状況下でも揺らぐことは無い。

 

 

問題は、それができるひとが、一体どれだけ居るのかということだ。

 

「求めよ。さらば開かれん」

 

 

 

 

先人の言葉にこそ、眞理がある。

| 気づきと学び | 00:51 | comments(0) | - | - | - |

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